前回は、現代の多くの社会的な課題を前にして、財政難にある行政の取り組みだけではそれらの解決が困難であり、そのためあらためて「人と人とのつながり(コミュニティ)による助け合いの力」が求められているという話をしました。
この点をもう少し一般的に説明すると、コミュニティが地域で重要な役割を果たすことができるのは、コミュニティに「市場経済や行政のシステムが手の届かない部分を補う働き」があるからだと言えます。この点に関して、市場経済の領域を「市場セクター」、行政の領域を「公共セクター」、コミュニティによる助け合い(相互扶助)の領域を「共生セクター」という三つの部門として考えると、それらは、以下の表2のような特徴を持っていると考えられます。
ここで表2の「規範」という部分に着目して、現代社会の動きを図式的に整理すると、それは近代化以降の「自由」「平等」「連帯」という理念の実現を求める動き、という観点から捉えることができます。
まず、近代社会はそれ以前と比較して、政治や宗教よりも「経済」を中心に動いている社会だといえます。そのため、アダム・スミスの『国富論』(1776年初版)が示したように、「欲望を自由に追求できる社会」、すなわち「自由」の理念が近代社会の第一の理念となった。
しかしながら、無制限に自由経済を追求することは、社会に大きな貧富の格差をもたらします。そのため、19世紀に資本主義社会の大きな格差に対して、「平等」を理念とする社会主義を実現しようという動きが登場しました。しかし、資本主義のなかでも、「無制約的な自由経済は、資本主義の発展そのものを不可能にする」というケインズの考え方が、20世紀前半に登場しました。そして、とりわけ第二次世界大戦後は、国家が経済政策や社会政策によって格差を縮小させることで、国全体の消費力(有効需要)を大きくするという、平等主義的な政策が、多くの資本主義国のなかで採用されることとなりました。
その後の資本主義国は、自由を理念として市場セクターの役割を強調する「小さな政府」か、平等を理念として公共セクターの役割を強調する「大きな政府」かを、それぞれの国の事情で、時代により選択してきました。そのなかで戦後日本は、基本的には「大きな政府」を基調としてきました。しかし、少子高齢化のもと人口減少社会に移行するなかで、年金制度に代表されるように、これまでの福祉国家政策を維持することが困難になってきました。そのため1980年代以降は、公的セクターの領域を国家主導で縮小し、経済をふたたび自由主義路線に転換しようとする「新自由主義」と呼ばれる考え方が、日本でも拡大してきました。規制緩和、金融化、民営化、社会保障の個人化などが、その代表的な政策です。
しかしながら、自由主義的な「小さな政府」にしても、ケインズ主義的な「大きな政府」にしても、基本的には両者ともに「経済成長」を第一の目的としてきた点では変わりはありません。そして、経済成長をひたすら追求するなかで、国民の企業中心の生活様式が、地域コミュニティにおける相互扶助のつながりを衰退させてきたといえます。しかし、市場セクターばかりを重視しすぎることは格差拡大を引き起こし、行政・公共セクターへの依存はすでに財政難に直面しています。そのため現在、上記の「共生セクター」の主体であるNPOや従来の地縁団体が、行政や企業と連携し、社会的課題の解決を目指す試みが求められるようになってきています。
言い換えれば、「低負担低福祉」の小さな政府でも、「高負担高福祉」の大きな政府でも、どちらを選択しようと国民には痛みがともないます。それならば、あらためて市民が主体となって助け合いの力を高めることで、いわば「中負担中福祉(あるいは中負担高福祉)」の社会を実現しようというのが、今日、コミュニティが求められる理由だと私は考えています。
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